山 行 報 告 | |
2013/5/2〜5 剣岳・赤谷尾根 | メンバ:山本、駒崎、大高ぁ、内山、大高ゅ 記録:大高ぁ |
【コースタイム】
(2日〜3日)
二俣川駅17:00=駒崎宅=調布駅(内山)=調布IC=中央道=長野道=松本IC=安房トンネル=国道471=国道41(越中東道路)=富山IC(北陸自動車道)=立山IC=1:30馬場島駐車場(仮眠)
(3日)
馬島駐車場5:52―赤谷尾根末端―赤谷尾根―13:40赤谷山付近(テント泊)
(4日)
赤谷山付近6:40―白萩山―7:40赤ハゲ8:10―赤谷山―ブナクラ乗越― ブナクラ谷―15:30馬場島駐車場16:00=アルプスの湯=富山買い出し=富山IC=北陸自動車道=親不知IC=道の駅親不知(宴会テント泊)
(5日)
道の駅親不知=北陸自動車道=上信越自動車道=関越道=内山宅=駒崎宅=二俣川(解散)
【記 録】
剱見るな〜ら」と歌われた赤谷尾根からの北方稜線は、憧れのルートであり今回計画が実現した。
(2日〜3日)
連休は渋滞が予想されるため、みんな年休を取り早めの出発をした。これが大正解で渋滞に巻き込まれることなく翌日の1:30には馬場島の駐車場に到着。しかもまだ駐車スペースが空いていてこの後続々と車が到着し、あっと言う間に駐車スペースは無くなった。
連休後半は寒気が入り3月下旬の気候。4月28日には吹雪で北アルプスは大荒れであった。しかし我々はそんなことには関係なく、早速山本氏持参のズブロッカのソーダ割りで入山祝いとなったことは言うまでもない。W大高は、前日まで38℃の熱でうなされた後遺症で早々に就寝。
(3日)
早朝長谷川さんの奥さんと合う。立山の方へ行かれるとのこと。お互いに安全を祈願して別れる。朝の気温は低く路面は凍り山も稜線はガスの中。赤谷尾根の取り付きは、橋を渡り白萩川沿いに堰堤まで行く。
先行の5人は堰堤手前の一般道から入り、我々は堰堤を越えたルンゼから入る。結局一般道はトラバースぎみに続いており、5人組みと合流。500m位先のコルになったあたりから直上に入る。
急な薮漕ぎで400m位高度を一気に上げると、稜線に合流した。かすかなトレースがあった。稜線からは明瞭なトレースと合流。下部の末端から登った新しいトレースである。
比較的広い稜線をどんどん高度を稼ぐ。先ほど白萩川で出合った単独の初老者が池ノ谷を登って行くのが見える。三ノ窓を目指しているのであろうか。
左のブナクラ谷にも5人の登山者の姿が望まれる。1800m付近で休憩をしていると遥か上の雲の切れ間から突然剱が姿を現した。ヒマラヤの頂きのような神々しい姿に感動。「岩と雪の殿堂」とはうまいことを言ったものだ。
1900mを過ぎるあたりから雲の中。冷たい風に急速に体が冷える。赤谷山の頂上はガスの中。だだっ広く誰もいない。強い風を避けるため、トレース沿いにやや下った岩の横にテントを張る。早速宴会となり、いつシュラフに入ったか覚えていない。
(4日)
夜通し風が強く翌朝は稜線が見えるものの風が強い。5人パーティーはすでに出発。新雪は15センチ程度ある。
今日の目的地三ノ窓が近くに見える。なだらかな稜線を進み、赤ハゲに到着。先行の5人が白ハゲへゆっくり移動している。後続の3人組もゆっくりだ。
赤ハゲから白ハゲへのコルに下ると崩れかけた雪屁が見える。いつ崩れてもおかしくないほどにえぐれている。間隔を開けて一段下にトレースをつくりトラバース。
案の定、先行トレースの下にはクラックがあり、やばいなと思いつつ渡り終えたその瞬間、ドカーンという音とともに振り返ると反対側に内山くんが滑り下りている。
駒崎さんの「停めろー」の大声。すぐに止まるが足をひねったとのこと。すぐに赤ハゲ側に戻る。雪屁が崩れたようで、慌てて駒崎さんと内山くんが反対側に飛び移ったようだ。
その際、内山くんは荷物が重かったため捻挫したとのこと。幸い足元からの崩壊ではなかったため、墜落せずに済んだ。正月の涸沢岳西尾根の崩落が思い出されて足ががくがくして震えた。
ロープを付けておらず落ちれば命はなかった。先行のトレースギリギリのところあたりから崩落しており、私のトレースのところでも危なかった。かなり下をトラバースしたつもりであったが、やはり甘かった。
その後の白ハゲへの急な登りがあまり雪屁の反対側だと登りにくく感じたためであったが、やはりもう少し雪屁の反対側でもトラバース出来た。反省材料である。
内山くんの左足は捻挫癖があるようで、すぐに湿布薬と包帯で固定する。直後にもかかわらずかなりの腫れである。すぐに下山することにする。幸い歩けるとのこと。荷物を分散して下山に入る。
剱に詳しい山本さんの提案で赤谷尾根ではなくブナクラ谷を下ることにする。こちらの方が下る時間と難易度が低いとの判断からであった。慌てていると冷静なようでも単純なことが見えていない。
冷静に考えればすぐに出てくる答えであったが、全くブナクラ谷のことは頭になかった。またも反省。ブナクラ乗越に行く途中は新雪がクランポンに絡みつき団子になる。足裏に新雪が山のように付きまったく歩けない。
クランポンのシャントが新しい人はまったく団子にならない。技術は日進月歩であると感じた。ちょっとした違いでも前を向いてスピーディーに下れるか、後ろを向いてアックスを刺しながら下らなければならないか。この差は大きい。
途中で富山県の小学校で英語を教えているというカナダ人の男性とすれ違う。日本語は普通に話せる。二つに分かれるスノーボードを背負い、赤谷尾根の途中からブナクラ谷側に滑るとのこと。
ヘルメットにビデオカメラを付けており、撮影して動画サイトに投稿するとのこと。結局ブナクラ谷で再会するが、上手な日本語で、「下る前は娘の顔がちらついて、なんでこんなバカなことをするんだろうと躊躇するけど、滑走し始めたら叫び声をあげて楽しんでいるんだよな。」と言っていた。
人間は何人だろうが考えることは同じだとつくづく感じた。スノーボードの腕前はたいしたものだ。やはり福山から来たという4人組がブナクラ乗越の手前でテントの周りにブロックを積んで遊んでいた。
瀬戸内からわざわざ遊びに来たようである。ブナクラ谷はそれほど傾斜もなくあまり潜る雪でもなかったので快適に下る。山本さんが前方300メートルくらい先に熊がいると突然叫ぶ。
そこらじゅうに熊の足跡。てんこ盛りの糞もあった。冬眠から覚めて活発に動き回っているようだ。下り終えたあたりから内山くんの捻挫の痛みがひどくなり始める。
それでもなんとか馬場島まで辿り着く。派出所で下山報告をすると、先行パーティも捻挫して人が出て小窓尾根から下山するとのこと。小窓尾根から下山は大変だろうなあ。まあ何とか無事に下山できたので、あとは宴会だ。
アルプスの湯で汗を流し、富山のスーパーで白エビのてんぷらと富山湾で朝どれしたホタルイカ、ぶり、イワシなどの刺身を大量に買い込み、途中で摘んだこごみもゲット。富山湾の眺めがすばらしい道の駅親不知で大宴会。富山の地酒に刺身、こごみは最高であった。
(5日)
翌日は渋滞にはまらないように早朝に出発。かわいい「穂高くん」とも会うことができた。10:30くらいには解散できた。内山くんの捻挫は靭帯損傷で完治が2カ月とのこと。始めは途中でテントを張って休みながら下山するという案もあったが、やはり一気に下りきって正解であった。
途中一泊したら、翌日は歩けなかったであろう。今回はずいぶん手前での捻挫でったため、下山が出来て事なきを得たが、もっと奥の稜線で捻挫等の軽傷の事故があった場合はどのように判断すればよいのか、シュミレーションしておくことが大切であると感じた。
体力勝負の北方稜線だと思っていたが、甘く考えていた部分は大いにあった。内山くんは捻挫したことにいたく恐縮していたが、山に怪我は付き物であり、また捻挫癖のある内山くんにテント一式など重量物をお願いしたことこそ反省しなければならない点であった。またバイルの件など、再挑戦には課題を残した山行であった。